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イベントでお寺は変わるか?

 
 イベントを行うお寺が増えています。
 
 十年くらい前は一部の特別なお寺だけが、何らかのイベントをしていましたが、今では、コンサートなどのイベントを行うお寺は、どんな地域に行っても、いくつかあるという状況になってきました。
 
 ある意味、画期的なことで、仏教界が大きく変わろうとしている兆しでもあります。
 
 ところが、こうしたイベントが一般的になるにつれ、弊社には意外な相談が来るようになっています。
 
 それは、イベントをやって、人もだいぶ集まって、地域との交流もできて、お寺のイメージアップもできて、イベントは成功したのですが、檀家はこうしたイベントには無関心だし、イベントに参加した人も檀家になるわけでもなく、他の仏教的な行事に参加するようになるわけでもなく、いっこうに次につながらない、というものです。こうした状況を、どうにか打開できないかという相談です。
 
 これらは、お寺で行うイベントというものを、端的に象徴する相談です。
 
 というのも、全国のお寺で行われているイベントのかなりの割合が、同じような状況にあるはずだからです。そしてその多くは、こうした問題にまだ気づいてもいないでしょう。
 
 イベントを行い、人がたくさん集まり、メディアにも取り上げられると、どうも成功した気になりがちです。しかし、いくらイベントに人が集まったとしても、それだけでは成功とは言えないのです。
 
 要は、「何のためにイベントを行っているのか?」ということです。
 
 この質問をすると、ほとんどのお坊さんは、こう答えます。「お寺を開かれた存在にするためですよ。これからの時代、そうしないとお寺の存在感が無くなってしまいますからね」と。
 
 こう答えた人に、私は、もうひとつ質問をさせていただきたい。「何のために開かれたお寺にするのですか?」と。
 
 言いたいのは、開かれたお寺にすることは、決してゴールではないということです。開かれたお寺にすることは、プロセスに過ぎません。大切なのは、お寺を開かれた存在にすることを通して、何をしたいのか、というヴィジョンです。
 
 無目的なイベントは必ず行き詰まります。行き詰まったことに気づいた人はいいでしょう。行き詰まっていることに気づきもせず、ただ無為にイベントを続けているお寺がなんと多いことか。
 
 イベントの対象は、いったい誰を想定しているのか? それは檀家なのか、地域の人なのか、若者なのか、年配の人なのか。
 
 そして来てもらった人には、イベントを通してどうなって欲しいのか? 檀家や信者になって欲しいのか、法事や葬儀を申し込んでくれる存在になって欲しいのか、法話会や坐禅会に参加して欲しいのか、悩みの相談に来て欲しいのか。
 
 そうしたヴィジョン無しにイベントをしていると、ただただ膨大な時間とお金と労力を使い続けるだけになってしまうのです。
 
 単に、イベントをするのが好きで、楽しければいい、というお寺もあるでしょう。それはそれで、いいと思います。ある意味、ヴィジョンとしては明確であるからです。
 
 しかし多くのお寺は、お寺の未来、お寺の活性化のためにイベントを行っているはずです。それならばもっと具体的に、何のために、誰に対して、どんなことを実現するために行うのかを明確にすべきなのです。
 
 

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